「桑園延命地蔵尊」。

(あしあと その603・中央区の206・桑園の3)

石山通とJR高架橋が交差する南側に、東方向に向かうわき道がありますが、その入り口に「桑園延命地蔵尊入口」と書かれた立て看板が立てられています。その道を入って突き当りまで行くと、その高架側に砂利が敷かれた広場があり、そこに大きなお地蔵さまの像が北を向いてそびえています。

錫杖を手にしたお地蔵さまがたたんだコンクリート製の大きな台座の正面には、下にお供物台と台座の凹みにろうそく立てが置かれ、そこには「奉安 桑園延命地蔵尊」と浮彫りがされています。台座の右側面には、「桑園延命地蔵尊保存会物故者役員名」について、歴代の会長と役員の氏名が掲げられています。

台座の右側面には黒御影石の石板がはめ込まれ、そこには「桑園延命地蔵尊改修寄付者御芳名」として、多数の個人名や企業名が刻まれています。

台座の背部には、地蔵尊の由来が刻まれた黒御影い石の石板がはめ込まれ、そこには

「由来

函館本線札幌市北六條西九丁目ヨリ西十一丁目ニ至ル地内ニ於テ明治七年鉄道開通ト同時ニ義経丸辨慶丸ト稱スル機関車運轉當初以来今日ニ至ルマデ変死ト事故死ヲ為シタル人三百六十四名ニ及ビ人之ヲ呼ンデ魔ノ踏切ト稱スルニ至ル

此ノ因果関係ノ理論ハ別トシテ之レガ防止ニ對シ苦慮スルト雖モ年ヲ重ヌルニ及ンデ益々増加スル事ハ世相上誠ニ等閑視スルコトヲ得ナイ

然ルニ東京附近ノ大森大久保、其ノ他道内ノ旭川曙及ビ東川等ニ於テ之レト同様ノ個所アリタル處郷土人相寄リ地名ヲ冠シタル地蔵尊ヲ建立シ死者ノ霊ヲ弔フト同時ニ将来ノ魔除ケヲ為セルニ迷信カ信仰カ此ノ穿鑿ハ別トシテ不思議ニモ殊ニ死ヲ遂グル人ナキニ至ッタ

此ノ事ヲ視ルニ於テハ右地内ニ同様ノ地蔵尊ヲ建立シ変死者事故死者ノ霊ヲ弔フト同時ニ将来此ノ事無カラシムルコトヲ期スルハ人ノ為スベキ道ノ一ツデ下記等相寄リ桑園延命地蔵尊ノ建立ヲ計ッタ次第デアリマス

昭和貮年七月二十日 桑園延命地蔵尊建立並鉄道死者追悼會 提唱者 桑園倶楽部 北門倶楽部」

とあります。

明治13年の鉄道の開通と同時に、列車事故による犠牲者は跡を絶たず、特に鬱蒼とした桑園地区を横切る西11丁目の踏切は魔の踏切と呼ばれ、多くの人が犠牲になりました。その犠牲者の霊を慰めることと魔除けのために、地蔵尊を建てる計画が持ち上がり、地域住民による北門倶楽部が組織されて、全国で一番大きな石仏像を作ることが決まり、昭和2年8月に北6条西11丁目に像の全長約2.6メートル、重さ約3.5トンの巨大なお地蔵さまが建立されました。制作は、当時札幌で有名であった阿部独海という石工師でした。鉄道が開通して108年目となる昭和63年11月には高架化が図られ、鉄道による悲惨な事故は解消されました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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