「屯田兵二十四軒開拓百年記念碑」と副碑。

(あしあと その601・西区の45・二十四軒の1)

地下鉄東西線の二十四軒駅と琴似駅のちょうど中間あたりに位置する住宅街に、野球場を備えた広大な二十四軒公園があります。その遊具の置かれた一角に、巨大な自然石でできた石碑が置かれています。

広い台座の上部に置かれた石碑の碑面には、「屯田兵二十四軒開拓百年記念碑」と刻まれています。

石碑の前には、黒御影石でできた副碑があかれており、それには

「碑文

明治八年五月青森岩手宮城県より北海道開拓使最初の屯田兵として士族二百八戸が集団式兵屋に入植始めは集団開拓により午前四時ラッパの合図に起床し夏は十一時間冬は九時間と規律ある勤務が続き乏しい生活の中で大開拓地の闘志に湧き明治十四年明治天皇北海道御巡幸には開拓地屯田兵屋生活状況等を御覧になられたのである(琴似神社屯田記録より)当時は茫漠たる原野と原始の森に先住農家が二十四戸点在して居り屯田兵は此の先住者を深く敬愛しての二十四軒の字名呼称でありこの精神が今日に伝承されている。

私達は此の先住者屯田兵その家族が冬の寒さと生活物資の不足に負けず暫し望郷の念に耐え抜いた偉大なる開拓者の方々に心からの感謝をし此処に屯田ゆかりの者と地域協力者琴似屯田百年事業期成会により百年記念碑を建立し私達の住む由緒ある地名と共に永遠の豊かな発展を願うものであります。

昭和四十九年五月二十七日建立 二十四軒地区協力者 屯田兵二十四軒在住遺族 琴似屯田兵入植百年記念事業期成会」

と刻まれています。

副碑の裏面には、「造営工事協力者」の氏名が刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000