(あしあと その453・西区の21・発寒の7)
JR発寒中央駅から南方向に向かったコンビニエンスストアの駐車場の一角に、巨大な岩でできた石碑が置かれています。これは、「発寒屯田兵 開拓居住の地」碑です。
石は天然の日高石でできており、碑面には大きく「発寒屯田兵 開拓居住の地」と刻まれています。その下には、「発寒神社 宮司 有田良伸 書」と添えられています。
台座の前面には、「昭和62年(1987)11月 発寒屯田兵子孫四代目 南部 貢」と刻まれています。
石碑の横には説明板が立てられており、そこには
「発寒屯田兵開拓の地
明治9年ここ発寒の地に屯田兵32名とその家族が、この稲荷街道沿いに入植した。
大木の生い茂る原始林の真只中で幾多の困難とたたかいながら汗を流し、労苦に耐え木を切り土地を耕し現在の繁栄を築いた歴史ある移住の跡地です。
先人達の偉業を偲び後世に伝えるためこの碑を建立する。
昭和62年(1987)11月 発寒屯田兵子孫(4代目) 建立者 南部 貢」
と記されています。
この碑は、南部氏が自宅の庭石を使って自ら建てたものになります。屯田兵が入植した当時は、一村240戸を基準として構成されていた屯田兵村ですが、母村であった琴似兵村に208戸が建設されたことから、それ補う形で子村であった発寒の地に32戸が追加されました。
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