「開校記念文学碑」。

(あしあと その449・南区の128・石山の15)※移設されました。

国道230号を石山から藤野に入る手前に、札幌市立石山南小学校があります。その学校の敷地内に、「開校記念文学碑」が建てられています。

白御影石でできた台座の上に、同じく白御影石でできたL字型の形状をした石碑の本体が置かれ、そこに黒御影石の石板がはめ込まれています。L字型の上部を向いた石板には、「開校記念文学碑」と刻まれており、正面を向いた石板には、次のように刻まれています。

「川釣り 石森延男

川上四キロあまりいったところに石切り山というところがあります。石山軟石がとれるので、山は半分ばかり切りとられ、なまなましい石はだをさらしています。

川はその下にそって流れ、わたしたちはこの石切り山のふもとまでやってきて、ここでひとやすみしながら釣りの用意をする。

石切り山につくころは、夜も明けはなれていて、石切りの番小屋の古いえんとつから、ちち色の煙がほそぼそと立ちのぼる。

わたしち邦ちゃんとは、川原のひやりとする大きな石に腰をおろし、釣り糸を出して釣り竿の先に結び、釣りばりをつけ、びくをしっかり腰にしばりつける。」

碑の背面には、この碑が建てられた謂れが刻まれており、それには、

「本校は、昭和五十六年四月に石山小学校から分離開校したが、その記念として、ここに石森延男文学碑を建立する。

時を同じくして石山小学校に石森和男の歌碑が建ったが、延男はその長男として、明治三十年に札幌に生まれた。札幌師範学校(いまの北海道教育大学札幌分校)に学び、教育者であるとともに、郷土北海道を舞台とした「コタンの口笛」「千軒岳」「梨の花」などを持つ児童文学者として知られる。「グズべリ」と「桐の花」はこの作者が生まれ育った札幌での少年の日の想いを綴った作品だが、碑文の「川釣り」は「グズベリ」のなかの一節である。

撰文は、北海道文学館事務局長木原直彦

昭和五十六年三月二十五日

寄贈 辻 勝三」

'19年4月から、石山南小学校が石山小学校に統合されて石山緑小学校となったことに伴い、「開校記念文学碑」は石山緑小学校の敷地内に移設されたため、現在の場所には存在しません。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000