(あしあと その384・南区の126・小金湯の3)
国道230号を定山渓に向かった手前にある小金湯地区。良質の温泉が湧くことでも有名なこの地に、小金湯天満宮があります。木造の社殿に向かって左側に、石碑とその台座が解体されて置かれています。
札幌軟石でできた石碑は、下4分の1ほどが欠けた状態で地面に直に置かれており、その左側に台座の一部であったと思われる石財が並べられています。
石碑には、「郷土開拓」に続けて「報徳碑」と刻まれていますが、最後の「碑」の字の下半分から欠けた状態になっています。
石碑のすぐ左に並んだ石材には、18人の名前が刻まれ、その間に四角い枠で囲まれた中に、「明治二十三年十一月二十日 先逐 上村茂太郎 同クニ」と刻まれています。
次に並んだ石材には、「明治二十三年五月ヨリ開拓 開拓五十年」に続けて、「先覚功労者」として10人の氏名が刻まれています。
一番左側に並べられて置かれた石材には、2人の「發起人」と17人の「賛成者」の氏名が刻まれています。
「さっぽろ文庫45 さっぽろの碑」には、この碑が台座の上に置かれている写真が掲載されています。説明によると、石碑の左横に置かれた石材は石碑の台石の右横のもので、真ん中に置かれた石材は大石の左横のもの、一番左側の石材は下台座に付けられていたもののようです。
小金湯は、明治20年ごろから湯治場として発展し、明治23年に札幌農学校が第四農場を開場するようになって、熊本から小作人が入植したことからその開拓の歴史が始まりました。この一帯は、旧豊平町大字平岸村字一の沢と呼ばれていましたが、熊本からの入植を受けて熊本開墾とも呼ばれ、さらに昭和19年に行われた字名改正の時に豊滝に含まれましたが、昭和37年に豊平町が札幌市と合併した翌年に現在の小金湯と呼ばれることなりました。
この石碑は、明治23年の開拓から50年を記念して、昭和15年9月に建てられたそうですが、おそらく風化して崩壊の危険があったために解体されたのではないかと思われます。
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