(あしあと その343・南区の105・定山渓の9)
定山寺の境内にあるもう一つの定山和尚の功績を讃えた碑。これが「開祖 美泉定山記念碑」です。墓石の形状をした正面の碑面には、「開祖 美泉定山記念碑」と刻まれています。
碑の背面には、
「昭和四十一年三月三十一日 開基 小須田潤治一周忌に因み 小須田多鶴代建之」
と刻まれています。小須田氏は、昭和9年に当時の昇月旅館を章月に改名した、現在の定山渓温泉の老舗ホテルである章月グランドホテルの創業者であり、当時檀家総代を務めていた同氏の妻である多津代刀自が、亡夫の一周忌に因んでこの碑を建てました。
碑の右側面には、「曹洞宗大徳山定山寺創立誌」が刻まれており、それには、
「慶應二年アイヌの先導によって定山和上が此の地に来て温泉を発見した
當時は冬季間積雪のために札幌中央寺を宿とし専ら温泉湧出を祈請していた
その因縁によって大正五年七月中央寺住職三沢松堰師により曹洞宗説教所を
創立され昭和二十一年十二月定山寺を寺号公稱を認可された
なほ當寺に奉安せる 美泉定山和上の遺物は左の通りである
一、定山坊御本像 一、弘法大師尊像
一、法衣安陀衣 一、獅子頭
一、不動尊版木 一、眞筆の書翰
この遺品は始め中央寺に保管せるも大正十二年定山寺に移管してある」
と刻まれています。
また、碑の左側面には、「美泉定山和上閲歴」として、
「定山坊は備前國赤坂村周匝村に生れ常山と稱し大尺豊かな偉丈夫であった 安政年間渡道慶應二年(一八六六年)朝里町張碓での十年間の生活から無人の境地定山渓に移住明治四年七月岩村通俊判官は常山に湯守を命じ名を定山と改めこの渓谷を定山渓と名付けた
明治十一年十二月三十一日歿するまでただ一すじに身も心も投げうった其の功績 實に絶大なものである」
と刻まれています。
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