(あしあと その244・南区の68・簾舞の3)
国道230号を藤野から簾舞に入って、坂を下りた左側に簾舞中学校があります。中学校の背後にある丘陵は二星岱(にせいたい)と呼ばれており、ここに明治時代初期の開拓にあたって、東本願寺の僧侶をはじめ、地元のアイヌの人たちの力で開削された本願寺道路の旧道跡が残されています。中学校の反対側の国道の歩道脇に、白御影石でできた「簾舞二星岱三十三観音参拝入口」と刻まれた碑が建っており、その側面には大きく「交通安全守護」と、背面には「平成八年十月吉日 簾舞二星岱三十三観音復元二十周年記念 国道二三〇号線拡幅整備工事完成記念 観音護持会建之 建立寄進者一同」とそれぞれ刻まれています。
この碑が建てられた山側が駐車場となっていて、その山麓に沿って「簾舞二星岱三十三観音」が並んでいます。
観音像に並んで「簾舞二星岱公園三十三観音参拝者入口」と刻まれた石碑があり、そこから右手に向かうと、山際に散策路が取り付けられているのがわかります。
山道に沿って並ぶ観音像を横に見ながら山頂に着くと、狭いながらも空き地が作られ、そこに小さな祠が置かれています。
祠の扉は閉じられていますが、はめ込まれたガラス越しに中を覗いて見ると、ひときわ大きくてきれいな観音像が収められているが見えました。
祠に向かって右手前に沿革史が刻まれた副碑があり、それには
「沿革
当簾舞二星岱公園・三十三観世音菩薩は大正二年創設功労者並観音信仰者の発願により三十三番観音と地蔵尊を安置以後毎年六月二日、十月二日に例祭を厳修し爾来六十有余年の歳月を経地域発展に伴なう新国道の開通で現二星岱に一括安置されたが風雪崖け崩れ等で観音像破損著しきを見、黒岩卯三郎氏初め発起人五名が復元を発願、地域住民並信仰者の篤志を得て観音堂建立、観音十二像、奥之院聖観音一像を造像、昭和五十二年六月十二日完成遷座祭を盛大に厳修す
創設功労者 豊平湯殿山斉藤周嶺師、大松寺小坂了観師 (他6名)
昭和五十二年六月十二日 簾舞二星岱公園・三十三観世音菩薩復元篤志功労者四百余名(芳名観音堂に記)」
風雪や崖崩れによる破損、国道の開通などで、簾舞の歴史とともに歩んできた観音像が地域住民の篤志によって守られています。
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