「故豊竹玉光齋之碑」。

(あしあと その168・中央区の95・豊水の15)

この碑の列の最南端に位置するのは、「故豊竹玉光齋之碑」です。

豊竹玉光齋の人物については、この碑の背面に「明治三十一年十月廿八日歿 俗名 玉村光清 享年五十二歳」と刻まれていて、本名が玉村光清であることがわかります。

台座には、背面に「明治(以下不明)追(以下不明)」として、「竹本」、「豊竹」、「鶴澤」などの氏名に続いて、「當區藝妓連中」として複数の芸妓の呼び名が刻まれ、左側面には、「追善會世話(人) いろは順」として17人の氏名が刻まれています。

ここに刻まれた「竹本」、「鶴澤」の名前は、「故谷太夫紀念碑」(こちら)で紹介した義太夫節の家元になりますが、「豊竹」も義太夫節の太夫として一つの流派を築いており、その流れを汲む人物であると推測されます。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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