(あしあと その123・南区の37・定山渓の4)
定山渓の市街地を抜けて国道230号を中山峠方向に向かい、その途中で左折して奥に向かって道なりに進むと、その突き当りに定山渓自然の村の入り口があります。
自然の村は車両進入禁止ですが、その出入口の右側に自然石でできた大きな石碑が建てられています。これが「豐平峽」碑です。碑面には大きく「豐平峽」と刻まれており、碑銘の揮毫は当時の北海道庁長官沢田牛磨によるものです。
昭和3年に建立されたこの碑は、秘境豊平峡の絶景をこの世に知らしめようと結成された豊平峡の「探勝会」を記念したものであり、三角柱の形状の碑の右側面に、「探勝会記念」という文字とその会員とみられる多くの人名が刻まれています。
碑の左側面には碑の謂れが漢文で、
「大正十五年丙寅夏八月青厓国分先生探北海勝〇而到此地愛其秀霊命曰豐平峽取于川名也乃請題字於澤田道長官建碑標焉
昭和三年戊申夏八月 豐平峽探勝同志」
と刻まれています。記録によると、碑陰の刻文は、塩澤梨齋撰文、岡田翠溪書によるそうです。
昭和47年に豊平峡ダムが建設されると、かつての絶景のほとんどがダム湖の下に水没してしまいました。今ではその一部だけが訪れる人の目を楽しませてくれます。
0コメント