「竜神塚」。

(あしあと その80・南区の18・真駒内の10)

南区の真駒内と柏丘の間を流れる真駒内川。立ち並ぶマンション群に沿って走る道道との間に河川敷の草地が広がり、そのほとりに小さな祠がたたずんでいます。この祠に祀られているのが「竜神塚」です。

明治12年、真駒内牧牛場の家畜の飲料水などに使用するために、お雇い外国人のエドウィン・ダンの提案で真駒内川から取水した真駒内用水路が開削されましたが、当時この用水路の起点となる辺りにあった大きな淵のほとりには蛇塚があり、大正4年に蛇塚に竜神の祠を建立して竜神塚として人々に崇められました。昭和40年代の後半には他の地域に移設されていた時期もありましたが、平成2年新たな祠とともに現在のゆかりの地に戻されました。

祠の横に建てられた由来書には、

「由来

その縁(ゆかり)をたずねると、そもそもの始めは取水口近くにあった「蛇塚」がもと。

この蛇塚の由来は、古くからあったというだけで、ようとしてわからない。

明治十二年に牧牛場がこの疎水を開さくした当時、この辺はうっそうたる原始林におおわれ、真駒内川の蛇行点にあって大きな淵ができており、そのそばに蛇塚があったという。

明治の後半になって平岸、美園、白石方面に水田が普及して来、この水源を利用する農家十数戸で水利組合を結成し種畜場の了解を得て用水を利用していた。

この人々の間に淵の主(ぬし)としての竜神信仰があり、雨乞いの風習もあったと言う。

大正四年五月、蛇塚に竜神の牌(=碑)祠が建立され、じ来竜神塚として信仰をあつめ、毎年春の水門開きと秋の水落しの例祭が関係者によってとり行われていた。

昭和四十七年真駒内団地の開発の中で駒岡に移され、時の流れと共に祠も傾き人々に忘れられたものを元の場所近くに移そうと平成二年七月十日真駒内川流域に竜神塚を建立する発起人会を発足させ、かつて先輩達の生命を守り産業の発展を支えた水の守り神として、皆様方のご賛同のもとに平成二年八月十二日新しい祠を建立し、「真駒内竜神塚をお守りする会」を設立、真駒内の年中行事として、平成三年九月一日「竜神祭」を復活させ現在に至っている。

平成四年八月吉日 真駒内竜神塚をお守りする会」

と書かれており、その裏には発起人の12人の氏名が記されています。

竜神塚から北方向に約30メートルほど向かった歩道脇には、「真駒内用水案内板」が立てられています。それには、真駒内川からエドウィン・ダン記念公園までの真駒内用水の流水経路が描かれていますが、これを見ると「丸亀樋管」と呼ばれる取水口から暗渠を通り、竜神塚の手前から用水路を流れてエドウィン・ダン記念公園の池に注がれるようです。

案内板には、周辺の地図とともに

「丸亀樋管

真駒内用水への取水地点です。もともとは300m程下流側にありましたが、明治29年と平成8年に移設工事が行われ現在の位置となりました。

丸亀という名の由来は、聯合用水となっていた時代の第七代組合長丸亀孝利氏にある様です。」

「真駒内用水

エドウィン・ダンの提言により、真駒内川から牧牛場へ水を引く水路として明治12年に完成しました。

その後、稲作用の水を確保する為に白石区米里までの一大用水路として整備されましたが、水田の消滅とともに埋立が進み、現在残っているのは真駒内川から精進川へと流れる水路だけです。」

とそれぞれ記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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