(あしあと その70・南区の12・真駒内の4)
真駒内第一公園の北側の市道に面して小さな鳥居があります。その鳥居をくぐり石段を上がって公園内に入るともう一つ鳥居があり、そのすぐそばに昭和9年に創建された「真駒内神社」の小さな社があります。
明治10年、お雇い外国人として招聘されたエドウィン・ダンによって真駒内に広大な放牛場が開かれ、牛、豚、馬を飼育したほか100ヘクタールの飼料畑を整備し、北海道における畜産技術改良の拠点とされました。明治19年には北海道庁が管轄する真駒内種畜場となり、昭和21年に進駐軍によって用地を接収されるまで、約70年間にわたり北海道の畜産技術研究の拠点として機能しました。
真駒内神社は、明治32年から馬魂を奉祀したことに始まり、昭和9年、当時の種畜場長を務めた相原金治が、伊勢神宮から天照大神(あまてらすおおみかみ)の分神を受けて神社を創設しました。神社の由来書には、
「真駒内神社由来
一、祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、菅原道真(すがわらみちざね)
二、創建 昭和九年十一月十日
三、沿革 明治三十二年頃から馬魂祭、獣魂祭を行っていたことが始まりで昭和九年相原金治種畜場長が伊勢神宮より御分神を受け神社を創設した。
昭和二十年米軍の占領地となり社殿の撤去を命ぜられたが氏子会代表が司令官スイング少将に残置を請願し許可され「食物を主宰する神」倉稲魂神を祀った。
昭和五十四年氏子会代表が京都天満宮より「観学の神」天神様の御分霊を受け十二月十五日に合祀したものである。
四、祭礼 馬魂、獣魂祭は五月一二日、神社祭は九月十日に行っていたが現在は八月十日に行っている。 以上」
と記されています。
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