「桑園碑」。

(あしあと その52・中央区の43・桑園の1)

知事公館がある広大な敷地。都会の中にありながらうっそうとした森の豊かな自然に囲まれて、まるでオアシスのようです。知事公館はこの敷地の南側中央部に位置し、北1条通側に設けられた門から自由に出入りすることができますが、この門から敷地内に入ってすぐ左手に小道があり、奥に進むと背の高いに木々に囲まれて薄暗い中に大きな石碑があるのが見えてきます。その碑が「桑園碑」です。

「桑園碑」の背面には、この地が桑園と呼ばれるようになった謂れなどが、次のように刻まれています。

「桑園碑隂文

地ヲ拓キ農ヲ勸ムルハ産業ノ夲源ニシテ一國富強ノ要務實ニ此ニ存ス大政維新ノ初北海道ニ開拓使ヲ置カルルヤ長官黒田清隆君諸僚ト謀リ大ニ力ヲ地益ノ開發ニ盡ス明治八年舊鶴岡藩士族百五十六人ヲ徴募シ札幌ニ移シテ荒蕪ノ原野ヲ開墾セシム諸士奮勉経書ヲ懐ニシ帯刀ヲ樹枝ニ懸ケテ鍬鋤ヲ握リ六月四日ヨリ九月十五日ニ至ルノ間札幌本廰以西ノ地二十一萬餘坪ヲ闢キ桑苗四萬株ヲ植ユ是レ即チ桑園ナリ官其功ヲ偉トシ宴ヲ設ケテ諸士ノ勞ヲ慰ラフ蓋シ兵農相依テ邊彊ヲ護ルノ實ヲ能ク顯彰セルモノナリ數年ノ後官桑園ヲ農蠶特志ノ人ニ分譲セント欲ス嘗テ森源三君職ヲ開拓使ニ奉シ專ラ教育勸業ノ事ニ任セシカ一時恰モ官ヲ罷メ自ラ農産ヲ興シテ大ニ國夲ヲ確立スルノ志アリ因テ桑園事務所跡地ヲ購ヒテ居宅ヲ設ケ以テ農事ニ従フ庭前ニ一大標木ノ桑園開拓ノ由来ヲ記スモノアリシモ既ニ腐朽シテ隻影ヲ留メス今ヤ嗣子廣君事蹟ノ年ヲ遂テ湮滅センコトヲ憂ヒ隣保有志ノ賛成ヲ得テ桑園ノ来由ヲ碑石ニ録シ永ク後昆ニ傳ヘシトス

明治四十五年一月 看雨學人 村田峯次郎撰 壺川 林文氺郎書 鈴木藤次郎刻

桑園碑には由緒ある開拓者の歴史が刻まれていたいつの日か碑文は國富在農に改刻されて現在東門内にある先人の辛酸を道民とともに偲びたい念願から桑園振興会有志相計りここに碑を復元する 昭和四十年十二月」

明治8年に鶴岡藩(現在の山形県)士族約160人が、札幌に置かれた開拓使本庁の赤レンガから西側の21万坪をわずか3か月で切り開き、ここに養蚕の基礎となる桑苗4万株を植えたのが桑園の始まりです。実はこの桑園碑は昭和40年に有志によって復元されたもので、本来の桑園碑は、同じ敷地内の東側にある知事公邸側にある「國富在農」碑になるそうです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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