(あしあと その499・西区の27・琴似の6)
地下鉄琴似駅から琴似栄町通を北5条手稲通方向に向かう途中の仲通りを西に折れた住宅地の一角に、「琴似屯田兵村兵屋跡」の建物が当時の姿で復元されて保存されています。
木造平屋建ての茅屋の中は、開放時間帯に限って自由に観覧ができるようになっています。
敷地への入口には説明板が立てられており、そこには、「兵村の地割り」と「1戸分の兵屋敷地」それぞれの寸法が添えられた平面図が描かれています。また、その後部に掲げられた説明板には、
「史跡琴似屯田兵村兵屋跡
この史跡は、明治7年(1874年)建設された、北海道独自の屯田兵制度における最初の屯田兵村の一区画と兵屋の姿を伝えています。」
と記されています。
この説明板の奥には、白御影石で造られ、碑面に「史跡琴似屯田兵村兵屋跡」と刻まれた石碑が建てられており、その側面には「建設 昭和四十七年三月三十一日 指定 昭和五十七年五月七日」と刻まれています。
碑の背面には、「文部省 札幌市」と刻まれています。
兵屋の別棟の小屋には、その壁面に次のように記された説明板が掲げられています。
「説明板
一、名称 史跡琴似屯田兵村兵屋跡
二、昭和57年5月7日 指定
三、指定理由及説明事項
屯田兵制度は、明治六年十二月、開拓使次官黒田清隆の上表に基づき北海道、樺太の警備と拓殖、地方警備、開拓の経費軽減、士族の授産を目的として発足したものである。
琴似屯田兵村は、明治七年四月に地割と兵村建設に着手同年十一月二十八日に二〇八戸の兵屋が完成し、明治八年五月入植した屯田兵最初の兵村である。
この兵屋跡は、東西十間、南北十五間(一五〇坪)に区画され十七.五坪の兵屋一戸が建てられたものの遺構で、宮城県亘理郡小堤村より入植した、屯田兵清野専次郎入居兵屋(兵屋番号一三三番)として給与されたものである。
昭和四十七年三月現在地に復元を完了し、開拓使時代の形態を伝える貴重な遺構として保存されている。
四、保存上の注意事項 (省略)」
兵屋内には、当時の屯田兵の生活が復元されており、使用された生活道具やその暮らしなどが紹介されています。
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