「琴似屯田授産場趾」碑と副碑。

(あしあと その483・西区の23・琴似神社の2)

琴似神社の境内の一角に置かれている大きな自然石で造られた「琴似屯田授産場趾」碑です。碑面には、大きく「琴似屯田授産場趾」と刻まれており、その左脇には「町村金五書」と添えられています。

碑の背面には、小さく「原石奉納 小亀貞三」と刻まれています。

本碑に向かって左側には、黒御影石でできた副碑が置かれており、それには

「建碑の誌

明治八年先人が開拓警備の雄図を以って開拓使最初の屯田兵として札幌市西区琴似一二条三丁目より六丁目に二百八戸発寒に三十二戸が東北地方より移住され開墾と共に産業振興の起点としてこの地に琴似屯田授産場養蚕室が設立された

而して明治十四年聖明の天子明治天皇は北海道御巡幸に際し札幌に聖駕を駐められ九月一日御名代として北白川宮能久親王殿下を琴似屯田兵村に御差遣その実況を具にし琴似屯田授産場養蚕室御代覧の事が行はせられたこの開拓先人創業の歴史的光栄ある授産場趾地は大正四年開拓の祖神を祀る神園として現在に及んでいるのであります茲に御巡幸を拝してより百周年を記念し氏子の協賛を得て碑を建立し床り深い浄地を永代に伝承し御聖徳と拓北の偉業を敬慕すると共に子孫の栄昌を祈るものであります。

昭和五十六年九月一日 琴似神社宮司 菅原 正 御巡幸百年記念事業実行委員長 坂井直徳」

と刻まれています。

副碑の背面には、多数の氏名が刻まれています。

屯田兵は、北辺の警備と北海道の治安の維持を目的に設置されましたが、開拓使は彼らに生活力を持たせるために、作物の自給自足と独力での養蚕を奨励しました。この碑は、西区役所の近くにあった屯田兵の子孫である山田氏の旧宅から、古い養蚕室の板倉が発見されたことを祈念して建てられたもので、その板倉は、現在は野幌にある北海道開拓の村に移築保存されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000