「旧有島武郎邸」。

(あしあと その10・南区の1・常盤の1)

札幌芸術の森に入ると、駐車場のすぐ近くの木々に囲まれた敷地の中に、赤い外壁の洋館が見えてきます。この建物は、北海道に縁の深い作家である有島武郎が大正2年に札幌に建て、家族とともに暮らしていた屋敷を当地に移築復元したものです。

館内の一室に石板が展示されていいて、そこには

「札幌市北十二条西三丁目 東北帝国大学農科大学大学務科教授 (在任1908~1815年) マスター・オブ・アーツ 有島武郎邸 1960年5月所有者三井武光氏より寄贈を受け同年11月現在地に移築 財団法人 北海道大学住宅建設協会」

と刻まれています。

また、邸宅の前の敷地内には説明板が立てられており、その一面には「旧有島武郎邸 建築年大正2年(1913年) 構造 木造2階建て」と記されています。

また、別の面には

「近代日本文学を代表する作家、有島武郎の邸宅として北12条西3丁目に建てられた。大正以降、札幌で流行したマンサード式屋根を取り入れるなど、モダンな洋風サード住宅の先駆けとなった建物である。和洋折衷にした部屋の造りや間取り、部屋や窓のデザインなどに有島自身の意図が強く反映されていると思われる。昭和35年(1960)北大に寄贈され、北28条東3丁目で大学院生の寮として使用された後、昭和61年(1986)現在地に移築された。」

と記されています。

この敷地と建物内は誰でも自由に観覧することができ、小説などの作品をはじめ有島に関係する多数の資料を見ることができます。玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて板張りの廊下を進みながら各部屋を覗いていくと、建物の中に染みついた木のすえたような臭いに、当時活躍した白樺派の作家たちの息づかいを感じます。有島の作品に触れ、白樺派の作品に触れ、北海道の作家たちの当時の時代に触れることができるこのような場所が、私たちの身近に保存されていることを誇りに思います。

妻の死後、有島は札幌を離れましたが、戦後この洋館は北海道大学の所有となり、有島寮と名付けられて活用されました。その後、老朽化による解体の危機を乗り越えて現地に移築されたこの洋館は、札幌市民の財産として末永く保存されていくことを願ってやみません。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000